by Ainin Shofiawati (アイニン・ソフィアワティ)
私はインドネシアで日本語教育の専攻に入った。日本語だけでなく、日本の文化と日本の社会についても勉強した。日本の文化や社会について私が学んだことは多くあった。一つは日本とインドネシアは違うところがたくさんあるということである。日本は単一民族、単一言語が見られる国である。一方、インドネシアは文化・言語などにかなりの相違が見られる国である。一つの国の中で細かく分けると、740もの民族があるインドネシアはもちろん世界最大の多民族国家である。日本とインドネシアの一番大きな違いはインドネシアは多様な民族と宗教から構成されているということである。インドネシア人はそれぞれの宗教をもっている。日本では信者の多い宗教は仏教と神道である。日本人は宗教的行事には大いに参加するのが本当に信者というわけではないそうである。日本人が結婚する時はたいていキリスト教で行い、葬式は仏教で行うということを平気でやっている。これは日本では一般的に見られることである。このように日本人が日常生活と宗教とを分けて考えていることはインドネシア人にとっては驚きである。なぜなら、一般のインドネシア人は宗教というものが態度、習慣だけでなく、自分の生き方にも影響している。
三年間ぐらいインドネシアで日本語を勉強して、ようやく一年間日本語日本文化研修留学生として、日本へ来ることができた。日本に来る前に、いろいろ日本のことを聞いた。日本に行ったことがある先輩の話によると、ホームステイした時、先輩は、袖の長い服を着てスカーフをかぶっている格好を見たホームステイ家族に「あなたはアフガニスタンのように、狂信的なイスラム教徒ではないよね」と聞かれたことがあるそうである。さらに、私のインドネシアの先生は日本に行く予定であったが、突然日本の政府からはっきりわけを説明されずに日本に行くその予定が中止になったということがあったそうである。そのインドネシアの先生は「日本に行く準備の何が悪かったのか」と自分の胸に聞いた末に
、なんとなく中止された理由がわかるようになったそうである。パスポートの写真である。そのパスポートの写真に先生は顎鬚を蓄える姿で写っていたのだが、
ちょうどその頃はテロリストのことについてメディアを通じていろいろ報道されていた時期だったのだ。おそらく、この写真が典型的なテロリストに見えてしまうと判断した日本の政府は、日本に行く予定を中止させることにしたのだと先生は思ったということである。
この話を聞いて、私は日本に来る前に、心配なことがあった。2001年9月11日にはニューヨークで、アメリカの政府によるとイスラム教徒が起こしたという歴史的なテロ事件が発生していたが、そのことをきっかけに、外国に住んでいるイスラム教徒に対するその国の人々の印象は悪くなるばかりのようあったからである。ひどい場合には、差別が発生することもある。そのために、日本に住むなら、私はイスラム教徒として、一般の日本人に悪い印象を持たれる恐れがある。
しかし、大学の先生は私にこう言った。「アイニン、日本は他の国と違う。この事件の後で、イスラム教徒に少し恐怖を感じる日本人が何人もいるかもしれない。だが、すべての日本人がそう思うわけではない。しかも、今まで
、日本に住んでいるイスラム教徒は差別されたことがない。もし日本で、イスラム教徒と、日本人との生き方全然違うばかりに、アイニンに恐怖を感じる日本人がいたら、前向きに考えて、いいイスラム教徒を証明してください」。この先生の言葉を聞いて、私は前向きに考えるようになって、日本に来た。
私は日本に住み始めてからもう10ヶ月経った。この10ヶ月の間に、私が日本社会の中で経験したことから、私の生き方が、日本人にとって目立つと感じられたいくつかの点について書き記したいと思う。
まず、私の格好について述べてみよう。日本人は私の格好を見て、何か疑問を持つはずである。自転車に乗る時や、電車に乗っている時や道を歩く時など、私は日本人に変なふうに見られている。特に、夏の時、日本人の友達はほぼ毎日「アイニン、そんな服装で暑くないの?」と声をかけてくる。さらに、今年の4月に私は剣道部に入ったのだが、こんなこともあった。剣道部員は私に「スカーフをかぶっているままでかまわないけれど、靴下は脱がないといけない」と言ったのである。他の人には手と顔しか見せないというルールがあるから、どうしても靴下を脱ぐことができないと私は説明した。剣道部員はこの理由を認め、やっと剣道部に入ることができた。最初はこんな格好で剣道部に入れないと思っていた。だが、お互いの違いをすぐ理解ができ、嬉しかった。この格好で剣道を練習する時、ものすごく暑いが先輩方はいつも「ファイト」と励ましてくれて、がんばれるようになった。日本人の仲間もたくさんできるし、日本の武道を練習できて、本当に楽しかった。
次に、断食について述べてみよう。私は去年の10月3日に日本に着いたがその日から10月12日まではまだ断食中であった。私が断食中だということを知った日本人の方はびっくりした。その時に、こんなやりとりがあった。「アイニン、一緒に御飯を食べよう」。「一か月の断食中だから、何も食べられないんだ」。
「一か月の断食?でも、水ぐらい飲めるんだよね、死んじゃうよ」と日本人は目を丸くして言った。「水もダメなんだ,日中はね。でも日が沈んだら普通に食べ
ていいよ」と私は説明した。
また、私は毎日五回礼拝をしなければならない。夜明けの礼拝、正午過ぎの礼拝、午後の礼拝、夕方の礼拝と夜の礼拝である。大学に通い始めて二週間ぐらいは、
正午過ぎの礼拝の時間が来ると、毎日寮に戻っていた。しかし、毎日、寮に戻っていると、疲れるので、大学の事務所に、礼拝のために学校の空いている場所を貸してもらえないか頼んでみた。そしてやっと、学校の保健センターの中に空いているところが見つかった。インドネシアでは各地にかならず小さいモスクがある。一方日本ではモスクがないので、出かける時や散歩する時に礼拝時間が来ると、私は普通に駅とかデパートで礼拝をするほかない。もちろん、変なふうに見
られたが、だんだん慣れてきた。あるデパートで礼拝中に、あるおばあさんに声をかけられた。「あのう、何をしているんですか」。わたしは礼拝をやめて、そのおばあさんに礼拝のことを少しだけ説明してから、礼拝をやり直した。あるデパートの警備員にも声をかけられたことがある。きちんと説明すれば、だいたいの日本人の方は理解してくれる。
最後に、食文化のことである。日本は「食のタブー」がほとんどない国である。インドネシアでは「食のタブー」がある国である。それは豚肉と酒である。おそらく、日本人は「味の素事件」のことをご存じだと思う。豚肉禁止がいかに強い拘束力を持つのかということは、2001年1月にインドネシアで起こった「味の
素事件」の例を考えてみると分かるだろう。現地合弁会社が豚肉から抽出した酵素を使用したとして、日本人社長らが「消費者保護法違反」のかどで官憲に逮捕された。このことからうかがえるように、イスラム教徒における豚肉はタブーである。イスラム法では、一切豚肉と酒を口にしないことが定められている。なぜかといと、イスラムでは肉体を大事にするとともに、精神を大事にすることが重要とされているからである。肉体を大切にするためには、不浄で悪い食べ物は避けなければならず、その一つが豚肉に当たるわけである。酒が悪いのは、肉体を害するだけではなく、精神も錯乱させるからである。豚肉エキスと酒を含んだ日本の食べ物は少なくないので、日本人が日本に住むイスラム教徒がどのように生活するのか、どんなものを食べるのかという疑問を持つのも当然である。私には食べ物を買って食べる前に原材料名を読む必要がある。もし、食べられないものが入っていたら、買わない。日本で買い物するのがはじめてだったので、大変であった。はじめの一か月は買い物をするたびに、食べられない原材料名の書いてあるノートをいつも持って行っていた。原材料名の漢字で読み方が分からないものがあったら、スーパーの人に教えてもらった。一か月経つと、ざっと原材料名を読むだけで、食べられるか食べられないかすぐ分かるようになった。そして、友達が食べ物をくれる時、食べられなくて断ったことがある。友達をがっかりさせないように、理由を説明した。しだいに分かってもらえるようになった。それから、冬休みの時に、日本人の先生の家に3泊ぐらい泊めてもらったのだがその時は私が頼まなくても、全部たべられる料理を作ってもらっ
た。すごくおいしかった。 イスラムの食文化には日本の食文化と同じところもある。日本では食事の前に「いただきます」、食事の後に「ごちしそうさまでした」と言う。インドネシアの文化では食事の前と食事の後に特別な言葉を唱えるの文化はない。しかし、イスラムの食文化には、食事の前に「ビスミラー」(神様の御名によって)、食事の後
に「アルハムドリッラー」(神様に讃えあれ)と言うことがある。
私は日本に来るまでに、日本人は単一民族なので、違う生き方や違う格好をしている人を受け入れにくい国だろうと思っていた。たしかに、私の違う生き方や格好にたいして、度々変なふうな顔で見られたり、考えられたりした。しかし、実際に日本人と触れ合ったら、これは単に好奇心を持っているからだと分かるようになった。また、メディアがイスラム教徒は狂信的というイメージ作り出しているということも聞いたが、10か月ほど日本に住んでいる間には、一度も差別されたことはなかった。また、日本人が私に対して恐怖を感じて、距離をおくことも一切なかった。逆に、日本人のほうから私のところに来て、興味深くいろいろなことを聞くようになった。このことをきっかけとして、お互いに理解し合うことができるようにもなった。このように日本に来る前の日本人に対しての印象と今の印象は大きく変わった。
このエッセイは相違を理解してくれる日本人の方と先生方と留学生の友達のために私が心から感謝の気持ちをこめて書いてものである。このように相違を理解してもらうことは大きいものも小さいものも私にとってありがたかった。心から感謝したいと思う。
参考文献
ハッジ・アハマド・鈴木(2007)「イスラムのことがマンガで3時間でマスターできる本」明日香出版社
磯貝健一(2003)「異文化知る心」世界思想社
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